重荷の正体3

しばらく投稿していなかったのに、
なぜか昨日はずいぶん、アクセスがあったようです。
前回の続きですが、「なさぬ仲」の間に入って、悪戦苦闘の日々が私にとっては一番つらい時期でしたが、当時の私としては「子供のためにやっている」という思いでやっているのだと信じて疑いませんでした。だから、こんなにやっているのにどうしてうまくいかないのかという恨みがましい思いを子供にもパートナーにも発していたのだと思います。
でも、結局、今考えてみれば、それは「子供のため」ではなかったと、確信できます。
ここで大きく影響するのが、それぞれの人が知らない間に信じ込んでしまっている『概念』と言うものです。
それは、一番の影響は母親からきているものですが、家族や世間からも刷り込まれています。
もちろん何気なく見ているテレビからも、今、吸っている空気からも・・・
そしてその内容は、個人の体験や記憶はもちろんのこと、その国の歴史や、民族の風習からも
影響を受けているもののようです。輪廻転生があるとすれば、過去生のトラウマも含まれていることでしょう。
日本とは7500kmも離れている、フィンランドでは離婚についても、再婚についても、なさぬ仲についても、確かに日本とは全く違う『概念』が存在しています。
この国にはこの国独特の歴史があり、その中から獲得した生き方や知恵が、現在のフィンランドを構成している要素です。
離婚が多いということは、当然なさぬ仲も多いわけですが、私が背負ってきたような重荷をこの国の人たちは感じていないように思えるのです。
家族構成もさまざまで、まだまだ言葉が通じない私にとっては、どういう関係なんだろうと頭の中が「?」マークになることもたびたびです。でも、国が違っても同じ人間同士。
ではこれはこうあるべきだとか、正しいとか間違っているとかと言う『概念』の正体はなんなんだと言うことになります。
そこで私が出した結論は、私の重荷は私の概念が作り出した『幻』だったということです。
でも、この無意識というものの中には、自分でも気がつかないやっかいな『概念』が存在しているのです。気がついているものも厄介ですが、気がついていないものは手のつけようがないので、もっともっとやっかいです。
私の中にも、まだまだ表面意識に現れない、根拠のない『概念』がたくさんあるのでしょう。それが苦しみの正体なのではないかと、感じ始めているこのごろです。

重荷の正体 2

私はお酒はあまり好きではありません。
両親は全くお酒を飲まなかったので、お酒に酔った人を見るのはとても恐いことのように思っていました。
体質としては私はお酒を飲んでも少し話したりするペースが落ちるくらいで、割と強いほうなのですが、私は自分にとても規制をしていると無意識に感じていましたから、お酒に酔って何かとんでもないことを言ったりしたら、うそが(といってうそをついているつもりはないのですが)全部ばれてしまう、という恐さもあって、自分がわからなくなるほど酔ったことは今まで一度もありません。
あれは確か8年位前のことです。
兵庫県の山の中で半自給自足の生活をしているとき、知人からいただいた焼酎を、1本(1000ml)飲み干したことがありました。それでも、そんなに酔っているとは思っていませんでした。でもその時、私は口走ったのです。
「いつもあの子たち二人(息子二人のこと)を私一人の肩に乗せて、生きてきたんだよ。どんなに重かったと思ってるのよ。なのに、あの子たちは私のことを嫌い、嫌いと言って、… まったく!!」
そう言って泣き出したのです。
私は自分の言葉に自分で驚きました。
そんなことを自分が思っているとは夢にも思わなかったのです。私は二度の離婚暦があるので、息子と父親に血のつながりがない「なさぬ仲」をたびたび経験してきているのです。そしてその体験から私が選んだのは、そのときの夫が私の子供を好きになってくれるこが、私と私の子供の安全につながるということでした。
子供が私より夫を好きになって欲しい、私のことを嫌いと言ってもかまわない、と思ってきました。
その私の心の中に、子供に対してそんな恨みがましい心があったことに驚いたのです。
久しぶりに今朝、そのときのことを思い出しました。
そして、安全のために、一生懸命無駄な努力をしていた私が、とてもかわいそうになり涙が出そうになりました。
人は幻の恐怖におびえ、自分を押し殺し、苦しい思いをしているんだなと改めて思いました。
続く

写真はオウルから森の家への帰り道、二重にかかった虹が見えました。
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重荷の正体

以前に、フィンランドのシステムはごまかせるところがたくさんある、と言うことを書きましたが、さまざまな場面で「急いでいない」「欲がない」ことを感じます。
電気料金も、1年に一度、各自が自分の家の電気使用量のメーターを読んで、自己申告します。
水道料金は、どうなっているのかいまだにわからず、この森の家を購入してから10ヶ月が過ぎるのに、まだ請求書が来ません。
オウルのマンションのネット料金は2ヶ月ごとに請求書が送られてくるのですが、3ヶ月過ぎても請求書が来ないでこちらから問い合わせても、「まだ出てないね」と言う返事があったままだったこともあります。
スーパーのレジでは、どんなに待たされても、誰も文句を言わないし、いらいらしている様子もありません。
競争原理を排除すると、こんなに穏やかになれるのかと驚きます。
競争がなかったら、怠けたり、やる気がなくなって何もしないんではないかと、わたしたちは思ってしまいますが、実はその逆なんですよね。
この穏やかな世界に来てみて、日本はとても苦しい生き方をしているな、とても制限の多い国だなと思います、そしてこのわたしもとても苦しい生き方をしていたなと思います。

今、世の中には「成功本」がたくさん出回っています。
「ザ・シークレット」を始め、どうすれば成功を引き寄せられるかと言う類の本です。
私も、ご他聞に漏れずシークレットや自在力を試したことがあります。
そしてその効果は、ホントにすごいです。
ある雑貨店のオーナーをしていたことがあるのですが、その時「自在力」を使って昨対(昨年の同じ月の売り上げを100として、今月の売り上げの割合のこと)を160%という脅威の数字をあげました。店を経営した事がある人はわかると思うのですが、昨対160%という数字は、明らかに奇跡です。
また、5年前、当時は日本でユースホステルを経営していたのですが、ザ・シークレットを読んで、「宿泊者数が昨年の2倍になる」と望んだら、それから半年間、本当に2倍の宿泊者が来ました。背筋が寒くなるほど、思い通りになります。
でも、私の場合は、思い通りの数字になればなるほど、今月は当たったけれど来月はダメだったらどうしよう」という恐怖がだんだん大きくなり、その恐怖を振り払うことができず、余計にしんどくなって、シークレットを使うことをやめてしまいました。
今も、成功本はよく売れているようですし、試している人もたくさんいると思います。
なのに、やはり幸せな人が増えているとは、私にはどうしても思えません。
なぜなのでしょう・・・

続く

写真は我が家の庭にやってきたトナカイが、のんびり昼寝をしてる様子です。20110909_2136811