夏の終わり…

このような部屋がある建物がいくつかあり、食事をしたり、コーヒーとお菓子を楽しんだりしました。

 

フィンランドは夏の終わりを迎えています。
昨日は、EläkeliitoのOulu地区の会合がありました。朝方降っていた雨もやみ、秋を感じるさわやかな1日でした。

この衣装はOuluのkansanpukuだそうです。kansalispukuではないという説明を受けたのですが、あまり違いはよくわかりません。

この場所は、川の水面に浮いていて、そこにいる人が動くたびに揺れて足元に水が上がってきます。私はこういう不安定な場所はとても苦手なので、早々に退散しました。
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労働の対価が支払われない、あいまいな社会

最近のテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の中で、主人公のみくりが「労働の対価」について言っていたことに興味をひかれたので、「人の善意や愛情につけ込む『搾取』について」考えてみることにします。

この種のドラマではあまり扱われることのない『労働の対価』。
私は「夫婦、親子、友達… どんな関係においても労働の対価は支払われるべきもの」と思っています。

          妻の労働対価について

アンペイドワーク(=無償労働)は、主に領域的には育児・介護・家事等の家事労働、ボランティア、農作業・自営業等の家族労働に多く見られ、市場経済の外で行われる人間の生命維持・再生産にかかわる自給自足性の強いもの。その多くが女性によって担われていることから男女間のさまざまな不平等を引き起こしている。(日本女性学習財団 用語解説より)

妻の労働は「ただ(無料)」と相場が決まっている。
かと言ってボランティアでもない。
ボランティアなら、まず、とてもいいことをしている気分になれるし、相手にはありがたがってもらえるし、きちんとお礼の言葉を受け取れる。それに、いつやってもやらなくても本人の自由で、やらなくても誰にも文句は言われない。
妻の労働はそれとは全く違う。
夫も、子供も、夫の両親も、妻が、母が、嫁が家族のために働くのは当たり前で、それがありがたいことだとは誰も思わない。
普通は人をただで働かせることはできない。今騒がれているブラック企業でさえ、給料は支払っている。

          女は奴隷

一家の稼ぎ手が夫で、妻が賃金労働をしていない(いわゆる専業主婦)の場合、この夫は家政婦兼、娼婦兼、ベビーシッター兼、介護師を、無料で雇ったという感覚でいる。
「嫁(こういう男に限って妻とは言わず嫁と言う※1)は、家事一切をするのが当たり前で、子育てをするのも当たり前、夫のSEXの相手をするのも当たり前で、夫の親の介護をするのも当たり前。食わせてやっているのだから」
これが男の言い分だ。

では、この不景気な世の中で、夫だけの収入ではやりくりできない場合はどうか。
妻はパートタイムで働きに出て、家計の不足分を埋める。それでも前述した妻の役割は何も減らない。妻が働きに出ることによって、何かのしわ寄せ(例えば、食事の時間が遅れたり、掃除が行き届かなかったり、etc.)が出ると、
「そんな仕事辞めてしまえ!」と偉そうに怒り出す。

妻がフルタイムの仕事をしていたとしても、家での労働量はわずかに減るかもしれないが、相変わらず家事、育児、介護の責任は妻の肩にのしかかり、夫はどこまで行っても「手伝ってやっている」という立場を崩さないので、妻の過重労働による疲労はどんどん蓄積されていく。
また、フルタイムで働いていれば、当然家事育児にかける時間は減ることになるのだが、そのことによる「罪悪感」まで背負わされる。

このように妻の現状を書き出してみると、なんと不平等な、まるで奴隷ではないかと思ってしまう内容だが、これが日本の常識なのだ。
「常識」になってしまうと、この中の不平等に誰も気づかない。

※11947年(昭和22年)に改正された民法と戸籍法、および全ての法律において、廃止された家制度に基づく下記の概念・言葉・法的地位・法的行為も廃止され存在しない。
嫁、婿、舅、姑、義父、義母、義祖父、義祖母、義兄、義弟、義姉、義妹、実家、婚家、本家、分家、家長、家戸籍、嫁ぐ、嫁になる、嫁入り、嫁にやる、嫁にだす、嫁をもらう、婿入り、婿になる、婿にやる、婿にだす、婚家の籍に入る

 

          対等な夫婦関係

「逃げ恥」の中では津崎が雇用主となり、森山みくりは従業員として家事代行の雇用契約を結ぶ。この場合、みくりの報酬は25歳の一般の時間給を計算した上の雇用条件だった。確かに働いた時間分の対価が支払われているのだから、この条件を夫婦になっても維持すれば、それは対等であるかのように見える。
しかし、現在の日本の社会において女性の賃金は男性の8割である。同じ職種、同じ地位、同じ労働時間であったとしても、男性より2割減なのである。
ドラマの中でも、津崎はフルタイムの家事代行サービスに給料を払えるだけの収入があるのに対し、片や、みくりは歯の治療代も工面できず、さらにアルバイトをしなければならないことになる。(もちろんこの場合の職種は違う。しかし、労働時間は同じである)
このように、たとえ妻の家事労働に報酬を支払ったとしても、男女間で賃金格差がある前提では、夫婦の対等関係が成り立つはずがない。
では、夫婦は、どのような経済体制を作れば対等になれるのか。

          私と夫の場合

一般的な常識に流されて行動するのではなく、わずかにでも違和感を感じたら、それを解消するために私たちは話し合って、新しい行動パターンを構築してきた。
私たちは経済を共にして22年余りが経過する。夫だけが働いた時もあれば、私だけが働いたこともある。また二人で同じ仕事に携わった時期もある。
どのような状況下においても、とにかく収入はすべて一度テーブルの上にのせ、そこから必要経費(食費、光熱費、住居費など)、私と夫の同額の小遣いを差し引き、残りは貯金。という形態をとってきた。

家事労働については、「自分のことは自分でする」を一番重視している。だが、どちらかが相手の分も一緒にやった方が効率的な場合、例えば洗濯や食事の後片付けなどは、「その時、手の空いている者がする」または、「それを得意とする者がする」。
食事はもちろん一緒には食べるが、お互いの好みが違うこともあり、別々のメニューの場合も多々ある。自分の食べたいものを自分で作るというのは、最も合理的な手段だと言える。
このパターンに行き着くまでに紆余曲折はあったが、お互いを尊重する素晴らしい方法だと自負している。

          フィンランドでは

では、男女平等世界ランキングでいつもベスト3に入っているフィンランドではどのように、家庭経済が成り立っているのか。
まずほとんどの女性がフルタイムで働いているので、家事労働は平等に分担されているのが普通のようだ。
なので、「妻の無償労働」という言葉で検索しても何もヒットしなかった。
経済においては、夫と妻の収入に差がある場合、収入の多い方が高額の経費(例えば住居費など)を負担しなければならない。
またどちらかが、無収入の場合、収入のある者が収入のない者に、収入額の半分を支払う義務がある。
これらは法律で定められていて、もしそれが実行されなかった場合、過去にさかのぼった分も要求できる。

日本で社会問題になっている「教育」「奨学金」「介護」「不平等」などを、フィンランドではどのように対処しているのか。どれを調べてもフィンランドでは見事な解決策を考え出され、実践されている。
さすがにフィンランドだと、いつも感動を覚える。

Minä pidän Suomesta yhä enemmän sen takia.
(それだからいっそうフィンランドが好きだ。)

 

 

 

 

「奨学金」という名の悪徳金融に騙されてはいけません 2

前回の続きです。

「ニューヨーク州の公立大学無償化を発表」のニュースが報道されました。
アメリカも日本と同じく学生が多額のローンを抱え、社会問題に発展しているからだそうです。
2012年のデータによると、アメリカは対GDP比の教育支出の割合はOECD32か国の平均値である4.7%です。それでも、若者は多額のローンを抱える結果となっています。このデータで最下位の日本は3.5%。6年連続の最下位という情けない記録を更新中です。
その上に、あろうことか「奨学金」という言葉で若者たちをローン地獄に突き落とす貧困ビジネスを国ぐるみでやっているのですから、あきれ返って開いた口が塞がりません。
ただ、権力者たちが自らの私利私欲に走り、次世代の若者の育成や、老人や女性へのやさしさ、国民の平和と幸福に全く貢献しないこの日本という国に、いくら不平不満を申し立てても何も変わりはしませんし、私たちの暮らしは良くなりません。

残念ながら私たちは日本という国に生まれました。だからこそ考えなければならないのだと思います。
ただ周りの流れに流されて生きていては、いつまでたっても人間らしい豊かな生活は送れません。それどころかもがいてももがいても這い上がれない泥沼にはまり込んでしまいます。

          なぜ高校に行くのか? なぜ大学に行くのか?

もう20年以上前のことになりますが、私は小中学生対象の学習塾を家で開いていました。
その時ある中学3年生の男子に「なぜ高校に行くのか?」という問いを投げかけてみました。すると彼の返事は「みんなが行くから」と答えたので、「そうではなくて君はなぜ行くの?」ともう一度聞くと次は「お母さんと先生がうるさいから」と答えました。
「お母さんや先生じゃなくて君は?」と私。
結局彼の答えは「わからない」でした。
彼に限らず、ほとんどの生徒がなぜ高校に行くのかなんて考えたことはないけれど、行かなきゃならないものだと思っているのでしょう。
その考え方が「高校」から「大学」へ移行し、なぜ行くのかなんて考えもせず「大学」へ行き、それでも足りないと「大学院」まで行く。今から20年後は「大学院」が当たり前の世の中になっているかもしれません
奨学金を湯水のように貸し出している「学生支援機構」の理事長、遠藤勝裕氏でさえ「近頃の親も学生も大学に行きさえすれば幸せになれると思っている」と言っているそうです。そういう考えの親や学生相手にアクドイ金貸しをしている張本人の言うべき言葉ではないと思いますが…
現在の大学の数は779校。(内、国立大学86校、公立大学89校、私立大学604校)
定員の満たない大学は生徒集めに必死で、高校に「うちの大学を受験するよう勧めてくれ」と頼んで回るというらしいです。
そうして、就職先は見つかりそうにない、かと言ってとても大学に行くような学力も向学意欲もない連中がどっと大学に流れこんで行くという構図が出来上がります。

          多額の借金までして卒業した大学。けれどまともな就職先はなし…

フィンランドに来る前、私は徳島県でユースホステルを経営していました。
ユースホステルと言うことで、たくさんの学生たちと出会いました。
そのうちの一人、仮にM君としておきます。M君は就職活動に入る前に四国のお遍路巡りをしようとやってきた大学生でした。彼は他のお遍路のおじさんたちとは世間話に花を咲かせていましたが、将来の夢とか、何を勉強したいかとか、そういう話題を持ち出すと全く話せなくなるタイプで、いわゆる何も考えずに大学に入った連中の一人だったようです。
御多分に漏れず奨学金を借りていて、卒業したらそれを返さなければならないことすら、彼は知りませんでした。
そして、その翌月に「オーストラリアの幼稚園で1週間ボランティアをする」ツアー(ツアー代金30万円)に参加の予定があると言っていました。彼の母親がそういうのに参加しておけば、就職に有利だろうとツアー会社で見つけてきたそうです。
何が悲しくて30万円も支払ってオーストラリアの幼稚園でチーチーパッパをしに行かなきゃならないんでしょう??
もう、意味不明です。
「それは立派なことをしてきたね。ぜひわが社へ来てくれたまえ」という会社があると思っているのでしょうか?
「これはいいカモになるぜ」と舌なめずりをするブラック企業はあるでしょうが…

日本の教育はこのようにものをよく考えない国民を作ってきました。
だからここまで一般庶民を無視した無茶苦茶な政治をしても誰も文句を言わない、デモひとつ起きない、安部クンが大きな顔をして君臨していられるような、国に成り下がってしまったのです。

          日本に必要な3つの大学?

2012年11月17日放送のNHKの番組の中で桜美林大学教授、諸星裕氏はこれからの日本に必要な大学は、以下の3つだと語っていました。

  1. 世界レべルの研究大学
  2. 教養人を養成する大学
  3. 「勉強のできない子」を伸ばすことのできる大学

そもそも大学とは専門的な学問研究をする場であるべき場所です。
2番の「教養人を養成する大学」までは何とか許せても、3番の「『勉強のできない子』を伸ばす」ということを高額の学費を取って大学と言う名前の教育機関がするべきことではありません。
それは義務教育の「小・中学校」がすることです。
そんなことすらしていない「小・中学校」(これは公立だけでなく私立も含めて)の怠慢以外の何物でもありません。
次に、日本とは正反対にやるべきことをきちんとやっている「フィンランドの基礎学校」について記しておきます。

          フィンランドの基礎学校

フィンランドの基礎学校は、7歳の8月に入学し基本的には9年間で卒業する。
基礎学校最終学年の9年生になると学校ごとの教科担当教師によって教科に4~10点満点で評点がつけられる。生徒たちはその成績を見ながら、進学希望の高校を第5希望まで書いて志望校に提出して合否結果を待つ。ヨーロッパの主要国で採り入れられている義
務教育修了段階での国家的な資格試験はフィンランドでは行われていない。
もし、出された評点の成績が不本意な場合や、どの高校にも入学が許可されなかった生徒は、本人の希望によりもう1年間、10年生として、無料で教育を受けることができる。授業には特別カリキュラムが組まれ、教科書も専用のものが用意される。その場合、「落ちこぼれ」といった考え方はされず、むしろ「一年多く勉強した」と見なされる。フィンランドでは、低学力の生徒への支援は徹底的に行っている。10年生の制度は彼らに修了資格と基礎学校の成績を上げるチャンスを与えている。10年生も卒業して、職業学校に入学した場合は、一年分飛び級もできる。
2002年の義務教育終了後の進路に関するデータによると、生徒の55%が普通高校に、37%が職業学校に、2%が10学年に進学し、残り6%は就職や徒弟制に入るなど何らかの社会経験を積みながら勉学を続けることを選択した。これは進学を捨てて働くという解
釈ではなく、働きながらでも成人教育機関や高校・大学で開かれる成人教育を受けたり、資格を取得したりする「生涯学習」の発想からこのように分類される。(京都産業大学文化学部 国際文化学科 今井利佳『フィンランドの教育制度』より)

          大学進学を決める前に考えるべきこと 「自分はどう生きたいのか?」

「人並み」というレールの上を何の疑いも持たずに歩いていても、人はあるときふと「このままでいいのだろうか?」という想いがわき上がる瞬間があるものです。しかし、途中でレールを降りることは、大変な勇気が要求されます。
周りの反対や、道なき道を行くことの不安で、ほとんどの人がわき上がった想いを覆い隠してまた同じレールを歩きだします。
そのレールの先に希望はないとわかっていても、みんなと同じなら安全だと思うからでしょう。
けれどそのレールは「安全」どころか「破滅」に向かっているというのに。

残念ながら私たちは、考える人間を作る教育を受けてきませんでした。
教育までもが商売と化している世の中で、流されて流されて生きてきてしまったのです。
でも、明日を担う若者に、そういう道を歩ませてはなりません。これが大人の責任です。
金儲けや、権力欲のために敷かれたレールではなくそれぞれの個人に合ったオリジナルの道を見つけなければならないのです。
他人との比較ではなく、損得勘定でもなく、「自分はどう生きたいのか?」を。
すでに様々な責任を背負っている大人にとっては、とても難しいことだけれど、これから高校や大学に進学するという若者なら、いや、若者だからこそ今、考えなければならないのです。

          どうしても大学に行きたい人は?

先ほども言いましたが、大学は勉強、研究をするために行くところです。
どうしてもこれを勉強したい、研究したいと思うものがないのなら、行くのはやめるべきです。
この若い大事な時期の時間お金の無駄です。
もしどうしても勉強したい研究したいと思う人は、海外の授業料が無料の大学に行きましょう。
フィンランドは大学院まで学費は無料です。生活費の支援金さえ出してくれます。ただ、もちろん授業は英語で受けなければなりませんし、ヘルシンキ大学の学力は京大と同じレベルのようです。
そんなの無理という人は、大学に行く必要はありません。大学に行くレベルではないということです。
また日本でも有名私学で、成績優秀な人に独自の給付型奨学金(返済不要)を支給しているそうです。
独自の奨学金制度がある大学一覧

ただこれも少数の成績優秀者が対象です。この対象外の人は、これもまた大学に行くレベルではないということですので、大学進学はあきらめましょう。また、この奨学金も全額支給しているところはわずかでほとんどが1年のうち半期分、または一部しか支給されないので、残額と生活費を支払うために「貸与型奨学金(返済必要)」を借りるのなら大学に行くのはやめるべきです。

とにかく何があっても「貸与型奨学金」に手を出してはいけません。

          大学以外の道

大学に行かないのなら、専門学校か就職か… と、そんなに急いで考えないでください。
まだまだ、長ーい未来があるのですから。

以前にも書いたかもしれませんが、東欧では職に就く前に、2年間わずかのお金で世界を旅行させるそうです。そう、バックパッカー、貧乏旅行です。そこでいろんな人と出会い、広い世界を見、命の危険にも遭うという体験の中から、人間的な成長をするのが目的だそうです。
この考えに私も大賛成です。
ただここで大事なのは、「一人」で「貧乏旅行」「自分で稼いだお金で」というのが大切なキーワードです。
当たり前の話ですが、「ツアー」や「留学セット」など全部お膳立てをしてもらうようなパック物は厳禁です。
とにかく交通費だけをアルバイトか何かで稼いで、資金が貯まったら出発です。
安い船や陸路を行けば、交通費もかなり安く上がります。

また「WWOOH(ウーフ)」というのをご存知ですか?
これはもともと有機農場主が若い人たちを育てるために始めたものらしいのですが、今は、有機農場に限らず若い人たちの力を借りたい人がホストに登録していて、ウーファーは1日6時間程度の労働力を提供すれば、ホスト側が無料で食事と宿泊場所を提供してくれるというシステムです。まず登録してウーファーになれば、ホストは世界中にあってあとは各自でホスト先と交渉して、日程などを決めます。このシステムを使えば、わずかのお金で、物価の高い国々にも滞在できるし、その国の生活に密着した体験ができます。
詳しくは、こちらをどうぞ。

また、「海外青年協力隊」という手もあります。ただこれは20歳からの募集になります。
詳しくは、こちらをどうぞ。

日本は島国のせいもあって、視野がとても狭くなっています。まさに井の中の蛙です。
とても狭い中での偏った概念だけを信じて生きているから、多額の借金をしてFランク大学に行き、ブラック企業に就職するか、自己破産、ホームレス… というようなバカげた道を平気で選んでしまうのです。
とにかく、世界を見ることです。
そして世界の視野から日本をそして自分の未来を見ることです。
フィンランドの大学は在籍している学生の年齢が17歳から30代ととても幅が広いです。
いろんな体験をした後で、真に勉強したいことが出てくることもあります。
その時に本気で大学に行くことも可能です。もちろんこの時も「貸与式奨学金」は絶対だめですよ。

とにかく人生はこれからが本番なのです。
世の中の間違った流れに流されず、しっかり自分の頭で考えて、自分の足で歩いて行ってください。