運命は決まっているか

運命は決まっているかどうかと言うことに、最近非常に興味があります。
朝食のとき、いつも2時間くらい夫と話をするのですが、
違う話題から始まっても、最近はこのテーマに行き着きます。
まず、この人生に起こることは単なる偶然なのか、それとも必然なのか。
この点については、すべて必然だという前提で私も夫も、話を進めています。
というのは、二人目の夫と最悪状態になっていた頃、私は残された最後のお金を使って「過去生回帰セラピスト養成講座」受講の申し込みをしました。
受講料は3日間で7万円。何とか生きていけるお金を稼ぎ出せる技術が欲しかったからです。過去生に興味があったわけではありませんでした。
けれど、数日前に定員不足で講座は中止という知らせを受け、「個人セッション」に変更を余儀なくさせられました。個人セッションは2時間で8万5000円。
その頃の私のへそくりが10万円を切っていたので、どうしようかと迷ったけれど、これに賭けるしかないという思いで、受講を決心しました。
そして当日、セラピスト(アメリカ人)と、同時通訳の女性が待つホテルの1室に向かいました。私は過去生回帰をしてもらう気は全くなかったので、私はセラピストになりたいので私の過去生を見たいわけではないことを伝えました。
「それでは、過去にこだわらず、自由にイメージを見ることにしましょう」と言われたのですが、私はあまり感性が鋭いほうではなく、どちらかと言うと左脳人間だと思っているので、イメージが本当にわくのかと半信半疑でしたが、実際やってみるとありありと映画を見るようにイメージが現れました。ひとつが20分くらいのシーンが三つ現れました。といってこのイメージが何かを意味するのか、単なる記憶の寄せ集めか、そのときは全くわからず、有り金のほとんどを費やしたのに、その価値が見出せないまま、その個人セッションは終わりました。
けれど、その直後、現在の夫と知り合い、わずか一年余りの間に、このイメージした三つのシーンで暮らすことになりました。
一つ目のシーンで暮らすことになったときは、なんか似ているなぁという程度でした。
そして次に引っ越したところが、二つ目のシーンとそっくりで、「まさか」になり、
三つ目のところに行ったときは、背筋が寒くなる思いでした。

「私の中に未来はある」
その時はっきりと、確信したのです。
このことから、すべて必然だという前提で私も夫も、話を進めています。
ただ、運命がどのあたりまで決まっているのか、その運命は人の行動や思考によって変えることはできるのか。
このあたりがもっぱらの話題の中心です。
私も夫も日本に生まれ、こんなにフィンランドが好きでも、フィンランド人ではないのです。在留許可は出ましたが、社会保障は受けられません。
だから、フィンランド人のように、「貯金をしなくても未来は心配しなくていい」ではないのです。
その状況で何を思い、何を学ぶのか。
これが私と夫にとっての今の課題なのでしょう。
みなさんは、運命があると思いますか?
あるとするなら、どの辺りまで、決まっていると思いますか?

フィンランド語教室

9月第1週から、「外国人のためのフィンランド語」の講座に、夫と二人で通い始めました。
9月から11月が前半で合計33時間、1月から4月が後半で合計42時間の講義があります。受講料金は70ユーロ(むっちゃくちゃ安い)。
今回で4回目の講義を受けました。
先生は25歳の若いフィンランド人男性です。
受講者は30人くらいで、もちろんフィンランド以外の国の人たちばかりです。
授業は今のところ、英語で進められています。だから、受講する前はたぶん理解できないだろうけれど、とにかくどんな雰囲気か味わってみたくて受講を決めました。
ところが、さすがフィンランドの教育は先生が一人で講義するのではなく、全員参加型で、とにかく当てられることが多く、わからなくても黙って座って出席していればいいやという姿勢では、成り立ちません。一度の授業で最低3回は当てられて、答えなければなりません。
ただ、英語が聞き取れなくて困ることは多々あります。
中学校で3年、高校で3年、大学でも英文科ではないけれど3年まで英語がありましたので、合計9年間、英語を勉強してきたのに、しかも、別に成績が悪かったわけではなく、いつも中の上の成績をとっていたのに、どうしてこれほど英語が話せないのか。

今年の春から日本も、小学校から英語の授業が必修になったようですが、教える教師不足が問題になっています。次男が中学生だった頃、ウーファーというシステムで外人がうちに泊まっていたことがあったので、次男がその外人を連れて学校に行ったら、英語の先生が逃げ出したと言うことがありました。
中学校で英語を教えている先生も、実際には英語を話せなかったわけです。
文法ばかりを教えて会話を教えていないからとか、いろいろ教え方に問題があるのでしょうが、一番の問題はテストのための勉強で、使うための教育でないことだけは確かです。
フィンランド語の授業を受けていて、わからない英語が出てくるたびに「どうして使える英語を教えておいてくれなかったのか」と、文句を言いたくなってしまいます。

それから、この25歳の若い先生ですが、4回目の授業にして全員の名前と顔と出身国を覚えたようです。すごーい!!
日本の場合、大学はもちろん高校や中学ときも、担任の以外の先生は、何か目立ったことがない限り、生徒の名前はおぼえていないと思います。顔は知っているくらいでしょう。
一人ずつを知らずして、真の教育は、不可能なのかもしれません。
この生徒が何を理解し、何を理解していないのか、を把握している必要があるのです。
日本の教育は[teaching]で、フィンランドは[learning] だと言います。
私たちは、[teaching]は知っていても、[learning]の経験はありません。
まだ、わずか4回の講義しか受けていないのですが、今後が楽しみです。
とにかく、数十年前の学生気分に戻って、心地よい緊張感を味わっています。

けんかを買わないフィンランド人

 今日、知人からメールが届きました。
暗にけんかを売られていると、私は感じてしまいました。
私の問題が「負けず嫌い」にあることは重々知りつつも、けんかを買ってしまいたくなり、心がうずうずと騒ぎ出します。
けれど、夫にたしなめられて思いとどまりました。

母と、祖母(母方)はよくもめていました。それを見ていた父が「どちらもが、自分が相手をたたいて終わろうとするから、けんかが終わらないんだ」と言っていたのを思い出します。
けんかを売るほうも、買うほうも、結局、自分が相手をたたいて終わりにしたいと思っているのです。
当然のことながら、けんかは終わらずどちらも気分は悪いままです。

フィンランドは目立つ国ではありません。また目立とうともしていません。
戦わないし、勝とうともしません。

昨年の今頃、私はパソコンにもそんなに詳しくないので、自分のパソコンをフィンランドにもって行くに当たって、モデムとかがどのようになるのか近くのパソコンや周辺機器を取り扱う店に聞きに行ったことがあります。行き先はフィンランドと言いましたが、その店員さんは日本のほうが優れていると思い込んでいて、「光回線が使用できる環境はできていないでしょうね」と言いました。
メジャーな国(アメリカなど)には弱いくせに、知らない国だと、現状を知りもしないで上から目線でものを言う人が多い。そういう時、私はすぐに「違うよ」と言いたくなってしまうのです。

実際、フィンランドは2010年7⽉1⽇から、全てのフィンランド⼈は1Mbpsの速度でインターネットに接続する権利を「国が法律で保証する」と宣⾔し、国内
の通信事業者26社を、国内全域を対象にサービスを提供する事業者に指定。更に2015年には、この速度が100Mbpsになると宣⾔しました。
私のように深い森の中に住んでいても、このようにインターネットは快調に使えています。

⽇本においても⼤半の⼈がインターネットを利⽤していると考えがちですが、実は⽇本のインターネット⼈⼝普及率は2009年のデータで約78%でしかありません。フィンランドの人口普及率は96%です。

ただ、フィンランドはこれは自国民が生活しやすいように考え出したもので、他国より優れていると誇示するためにやっているのではないのです。
昨日もフィンランドの教育制度について調べていたのですが、競争力は一位なのですが、競争はしないのがフィンランドです。
買った、負けたの意識がないのです。
日本人の私にとっては信じられないようなことです。
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「フィンランドの教育制度」より引用
さて、大学資格試験の結果は当然、数字で評価されるわけだが、そうなるとやはり成績の良い生徒を輩出する高校が明らかになり、競争が生まれてくるのではないかと言う疑問が生じる。しかし、フィンランドではみなが他人が出した成績には関心がないと言う。実際、学ぶのは自分であり、自分が何を学びたいのかが重要なので競争は起こらないのだという。生徒たちも大学試験で点数の取れそうな得意な教科を受験するのではなく、将来の目標とする職業に必要な教科を選んでいる。フィンランドの生徒たちの目標はより高い点数を取ることではなく、将来のために実力をつけることなのだ。日本人にとっては理解しがたいことが多いが、フィンランドではこの論理で社会が成立しているのである。
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フィンランド人は争いません。
そしていつも穏やかで、優しいのです。
心からフィンランド気質を見習いたいと思った私でした。