私が初めてフィンランドに来たワケ

それは、今から5年前の出来事です。
ある日の午後、『チチンプイプイ』という関西系のワイドショーを、なんとなく見ていました。当時、Pisaの学力判定で、競争することを辞めたフィンランドが一位になったということで、フィンランド特集が組まれていました。
その日も番組のメイン司会者がレポーターとして、実際にフィンランドに行き、取材をしている風景が映し出されていました。「歓楽街がない」とか、「華やかな観光施設がない」とか、地味な国というイメージが前面に押し出されたないようでした。スタジオでそれを見ている他の出演者たちは、口々に「いい国だと思うけれど、退屈そう…」という意見を言っていたのを覚えています。
でも、
そして最後の取材でフィンランドの首相に直接インタビューがあり、
「フィンランドは確かに学力一位になりましたが、離婚率も高いですよね」という、フィンランドを非難するようなにおいをこめた質問をしました。
その質問にその首相が答えた言葉が、私の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
なんと、彼は「心が離れた二人が一緒にいることのほうが不幸でしょ」と言ったのです。
一国の首相が、しかもそのようなことに全く理解がないと思っていた50から60代の男性が、そう言い切ったのです。
私は身体の中に電流が走るほどの感動を受けました。
「すごい!! こんなすばらしいことが言える首相がいる国を見てみたい」
わたしは、隣の部屋で書き物をしていた夫に、そう言いました。
と言っても、本当に行くつもりは、なかったと思います。
なぜなら、夫は『南の島、推奨派』で、文明の発達したところで人間らしく生きられる場所はないと、常日頃から言っていましたので、まず夫は行くわけはないと思っていました。もちろん英語が全く苦手で、運動神経が鈍く、一人で大きなスーツケースを持って下りのエレベーターに乗れないと言う私が一人で海外に行けるわけがないと思っていたからです。
ところが「見てくるといいよ」という、夫の返事。
「一緒に行ってくれるの?」
「違うよ。一人で行けばいいよ」
「・・・・・・」
心の中では「この私が?」「一人で?」「フィンランドに?」
でも、わたしたち夫婦の間には、いつの頃からか「ある決まりごと」が生まれました。
それは、「自分の成長のために役に立つことだとわかっていても、勇気がないばっかりにあきらめてしまうのは、一番恥ずかしいこと」と言う見方です。
私は確かに「行きたい」、「見てみたい」と思ったのです。
それを一人で行くのはコワいからあきらめると言うことは、口が裂けてもいえないことなのです。
その日から、とろくて、鈍くて、英語力ゼロである私の、フィンランド一人旅に向けての準備が始まったのです。

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日本の離婚・フィンランドの離婚


離婚を決意してからも、それに抵抗する夫からの暴力や、協議離婚が成立せず調停離婚にもつれ込んだり等があり、
相当の日数がかかりました。
まだまだ日本では、離婚に対して「わがまま」という評価が圧倒的です。
現に私の友人(女性)からも「女が稼ぎを持つとこうなる」と言われたし、「子供のことを考えなかったの」とも非難されました。
 また最近、ある新聞に男女平等を唱える団体が企画した「フィンランド情勢を見学する」に参加した人たちのレポートが数日に渡り、かなり大きなスペースに掲載されていました。
そのうちの一人の女性のレポートによると、「フィンランドは離婚後の女性の待遇が良すぎるので、離婚率が高い」との事。

女性は男性よりも一段も二段も低い位置に置いておくべきだと言わんばかりの内容です。私は早速、この男女平等を唱える団体に抗議の手紙を書きましたが、「あの人(レポートを書いた女性)も、悪い人ではないので、長い目で見てあげてください」と言う意味不明の返事が来ました。
また、1年位前にNHKの番組で母子家庭の実情を取り上げていました。
まず、母子家庭の平均年収の低さ。また保育園の不足。
ある家庭は、就学前の子供が二人で、もちろん保育所は待機状態で入所できません。その母親は働くこともできず、収入はわずかの母子手当てのみで、その手当てが振り込まれると、お米とジャガイモと玉ねぎを買って、それだけで数日の食事を作るそうです。
このままでこの子達に希望を持たせることができるだろうかと、涙ながらに語っていました。

その紹介の後、取り上げられたフィンランドの母子家庭(フィンランドでは標準の母子家庭)では、月収が33万円、もちろん子供の学費は一切かかりません(日本も小学校、中学校の学費はかかりませんが、文房具や副教材費など、もろもろの諸経費は個人負担ですが、フィンランドの場合は、母子家庭か否かにに関わらず鉛筆1本買う必要はなく、すべての子供が平等な環境で教育が受けられます)なので、マンションの家賃、光熱費、食費など、すべての必要経費を引いたあとも、6~7万円が残るそうです。母子家庭だから大変だと思ったことはないと、フィンランドのその女性は笑顔で語っていました。
フィンランドの離婚率は、日本よりかなり高いです。
私たちがフィンランドに住んで(7ヶ月)から、知り合った人たちはまだそんなに多くないのですが、すべて離婚経験者で、再婚のご夫婦ばかりで、そのうち一組以外は全部夫婦別姓です。
現在、私たちが住んでいる家の以前の持ち主のご夫婦も、先日お茶にご招待したら子供達が9人も来て驚きました。どの子がどちらの連れ子なのか、義理の関係なのか否かも、まったくわからないほど、みんな仲良くて日本のような暗さはまったくありませんでした。彼らも夫婦別姓です。
この家の以前の名義も共同名義です。私たちが購入するときも、「共同名義にしますか?」なんていうことは全く尋ねられることもなく、当然のように共同名義です。銀行口座も共同名義です。それぞれの名前の入ったキャッシュカードを持つことができます。
日本で一度目の結婚のときも二度目の結婚のときも家を購入したことはありますが、どちらも尋ねられることもなく夫名義でした。もちろん、共同名義と言えばできたようですが、あえて共同名義にして欲しいと言い出すのは、欲深い女と思われそうで言うのは控えてしまった覚えがあります。
日本でも共同名義にしてはいけないわけではないんだから、フィンランドと同じではないかと思われるかもしれませんが、ひとつのものを共有する場合、それが家でも預金でも、共同名義が当たり前と言うフィンランドと、夫名義が当たり前の日本とでは、天と地ほどの差があるのです。現に離婚のときも、10年以上の夫婦でないと、離婚時の財産の権利は夫と平等の権利は妻には与えられないのです。私の場合は、一度目の結婚生活は12年間だったので、半分の権利はありましたが、3500万円で買った家(離婚当時のローン残額約1500万円)があったにもかかわらず、私がもらえた財産分与額は、わずか150万円でした。
また、フィンランドの場合、入籍していなくても2年以上同居していれば、夫婦としての権利は、すべて与えられています。
理不尽な条件で別れた私にとっては、このフィンランドの体制は信じられない夢のような国です。

写真は、現在のフィンランドの我が家です。(土地2ha。土地、家屋ともに共同名義)

フィンランドの我が家(土地2ha.夫婦共同名義、)

「別れたい」から「別れよう」の決断まで

 タイトルのように、実際に別れるという行為に至る過程は、長い月日を要しました。
まず第一に、経済的な問題。私の収入源は前回にも書いたとおり、自宅で開いた塾です。
そのままその塾を継続できるなら、子供を育てていくのに十分な収入でした。
けれど、離婚となるとこの家を処分し、売った価格からローンの残高を差し引いた額を二人で分けると言うことになるのでしょう。当然、塾は続けられません。
ともに生きていくパートナーではないと判断したとき、日本の女性を取り巻く状況はとても厳しいものです。アパートも、母子家庭や、女性の一人暮らしの場合、親族の保証人を立てなければ、貸してもらえません。
また、女性の社会での収入は、正社員であっても、同じ正社員の男性より低く、パートであっても、同じパートの男性より低いのです。
(特に現在はリーマンショック以降の不景気の状況で、男性ですら正社員になれない社会状況ですから、私が離婚したときより、もっと女性は生き難くなっていると思います)

現在の母子家庭の年収は、一般家庭の年収の半分以下だといいます。
崖っぷちに立って、さぁ飛び立つのか、踏みとどまるのか。
トンとひと突き、誰かが背中を押してくれれば、飛べるのに・・・
その頃の私の関心ごとは、当時4,5歳だった息子が、大きくなったとき、どのように思うだろうということでした。
別れたら別れたで、「何で離婚なんかしたんだ」と責めるかもしれない。
といって、我慢して別れなかったら、「何でこんなに仲が悪いのに離婚しなかったんだ!」と非難するかもしれない。
果たして大人になったこの子はどちらを望むのだろう。
出るはずのない答えを求めて、迷い続ける日々でした。

そんな時、同じように夫婦の問題で悩んでいる友達と話していて、急にある思いが私の心に浮かびました。その友達には3人の子供がいました。
私は子供が一人だから、この子がどう判断するかが重大になっているけれど、もしこの友達のように子供が3人もいたら、その子によって下す判断は違うだろう。となると、「子供の望むようには親の生き方を決めるわけには行かないんだ。私が如何に生きるかなんだ」というシンプルな答えに行き着いたのです。
私がこの心の冷え切った夫婦関係を続けるということは、子供のためだとかというきれいごとで隠しても、所詮、経済的に貧しくなることが怖いだけなのです。
もし、私が離婚しない道を選んで、この子が大きくなったとき「なんで!?」と責めたとき、私は言い訳ができないと思いました。
でも、離婚を選んで、たとえこの子に学歴を付けてやれなかったとして、「なんで母さんは離婚なんかしたんだ!こんな貧乏になりたくなかった」と私を責めたとしても、そのときは私は堂々とこの子の目を見て、自分の選んだ生き方を話すことができると、確信しました。

本気でこの夫と人間関係を築くことは無理だと思ってから、子の決断にいたるまで丸4年の歳月が過ぎていました。
続く